ポップヨシムラの思い出2
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ポップヨシムラの思い出 ポップヨシムラ
アメリカの駐留軍の町 雑餉隈(ざっしょのくま)
福岡市博多区の南のほうに雑餉隈という町はあります。と言っても博多区に雑餉隈という住所があるわけではありません。雑餉隈という住所があるのはお隣の町である大野城市です。しかし私鉄の西鉄に「西鉄雑餉隈」があったことと、国鉄の「国鉄雑餉隈」があったので、この地域は通称で雑餉隈と呼ばれてます。
雑餉隈の南に隣接して春日市があり、そこにアメリカ占領軍の駐留基地がありました。その頃の名称は「板付基地」と呼んでいました。本来の板付基地は今の福岡空港です。以前の福岡空港は「板付空港」と呼ばれており空港とそこに隣接する小さな基地を板付基地と言っていましたが、その分留基地として巨大な春日基地があり、当時のアメリカでの正式名称は「Itazuke Annex」で日本人は「春日ベース」と呼ぶ人もいました。子供ながらに春日にあるのに別の場所の板付の名称なんだろうと思ってました。
雑餉隈はそもそも日本の兵器工場があったり巨大な紡績工場があり福岡市の南のはずれなのに人は多く、飲食店や旅館がたくさんありました。
つまり雑餉隈は巨大な板付基地に隣接する歓楽街でアメリカ人がたくさん居て、アメリカ人が夜になると遊ぶ街でもありました。
そんなアメリカ人はハーレーという巨大なバイクに乗ってました。軍の駐留という仕事をしてるのにバイクをアメリカ本土から持ってきてるんです。昼も夜もハーレーがウロウロしてて、子供から見ると仕事をしてるのかしてないのか分かりません。
当時の町には車屋さんもなければ、バイク屋さんもありません。庶民の乗り物は自転車の時代です。バイクを持ってるアメリカ人はバイクが壊れると修理してくれる店もなく困っていた状態のところ、日本の南方戦線で飛行機のエンジンの修理の経験があり英語も話せたポップのところにバイクの修理依頼が来るようになります。
日中のポップはいつも作業台の上の「万力」に金属を挟んでヤスリで削っています。その日中のお客さんは当時のアメリカ人の足であった軍の車の「JEEP」と書いてある四輪駆動車です。JEEPを勝手に乗ってもいいのは、たぶん軍で少しエライ人だろうと思ってました。それでも30歳くらいだったような気がします。日本人の女性が横に乗ってることもしばしばあり、その化粧は派手で服装も派手で後に流行るボーリングで着るような服を着ていました。これも後に知るのですがそんな女性のことを「オンリーさん」と呼んでいたようです。四輪駆動車には「MP」と書いてあることもあります。ライフルのような銃を持ってることもあります。ヨシムラモータースの表の道路はドロ道で細いのですが四輪駆動車は誰かまうことなく道路の真ん中に駐車してます。POPとジョークを言いながら日中の時間を過ごすアメリカ人が後を絶ちませんでした。
POPとアメリカ人はジョークを言って大笑いしたあと、いつもお決まりで「おい ぶんなぐるぞ!」みないな感じで工場の中からアメリカ人を道路まで追い回すことでした。
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